SSブログ

乙武よ、おまえもか [芸能]

 このタイトルは、わかる人にはわかる。さて、ベッキーに続いて,クリーンイメージの乙武洋匡氏が不倫騒動と相成った。

 以前まで「乙武さん」と言っていたが,「さん」づけをするにはやはり違和感を感じてしまう。
 ここ数年で5人と不倫,新潮に暴露されたのを受けてこのほど謝罪した。それがまた夫人も謝罪しているので,世間の風当たりは相当強そうだ。

 「五体不満足でもあの部分は大満足」など,お下劣な書き込みもあるが,容赦ない批判が相次いでいる。乙武氏は教員経験があり,東京都の教育委員を務めていたのだから尚更だろう。読んでいるうちに段々とかわいそうになってきた。

 本人の謝罪は当然ながら,夫人まで謝罪をしているのは,参議院議員選挙への出馬があってのことだろうが,この夫婦の在り方もまた世間はどう思うだろうか。不倫は家庭内のことだから,妻が許せばそれで終わりだが,社会的な地位があり,政界入りを目論んでいるとなれば,また話は変わってくる。
 この原稿を書いているうちに,「不倫相手は50人以上」という記事も出てきた。不倫相手の暴露など,これから乙武氏をめぐる報道は多くなるだろう。

 彼は,一体どんな人物なのか。

 彼の対談記事から一部抜粋して考えてみたい。ちょうど,「不倫」への認識を示すような内容があった。

[以下乙武氏の発言]
「以前、フリースクールを取材したんです。既存の学校に通えなくなった子が居場所を求めて通っている学校です。そこで彼らに学校って何かと聞いたら「社会性を身につける場所だと思う」という言葉が返ってきて、はっとさせられました。 なぜ彼らが既存の学校にはいられなくなったのか、それは社会性とは集団からはみ出さないようにすることだと捉えられているからなんです。はたしてそれが本当の社会性でしょうか? 社会性とは、「人にはそれぞれ違いがある」ということを認めることではないかなと思うのです。しかし日本ではそうではなく、自分を押し殺し、集団に自分をあてはめていくことだと思われている。それでは不登校にもなるし、会社で鬱になる人も出てきますよね。社会性を身につけるとは、自分を殺してマニュアル通りに生きていくことではない。「一人一人が例外である」ということに、もっと多くの人に気づいて欲しいんです。」

 この意見は,「社会性とはなにか。」について述べたものだ。僕が考える社会性は,「礼儀・作法を弁え,他人と協調し,よりよい社会を築いていく人柄や態度」となる。しかし彼は,「人にはそれぞれ違いがあることを認めること。」だとしている。この言葉自体はとても大切なことだし意味のあることだが,「誤解」を生じる表現でもある。
 つまり,「社会から逸脱することも,それぞれの違いがあるからだ。」という論理になりかねないからだ。この記事では,フリースクールの取材を話題にしているが,学校という型にはまった集団から逸脱する不登校を肯定している。「不登校もいいじゃないか,人はそれぞれ違うのだから。」ということなのだ。

 もしこのような考えが世間に流布すれば,有り難いことに,この世から諸々の問題は消えてなくなるだろう。犯罪が多いのも「人はそれぞれ違うから」だし,不倫をするのも「一人一人が例外である。」から,となる。

 この「一人一人が例外」という表現も,あまり知能が高いとは言えない言い方だ。なぜなら,この表現の矛盾に気づいていない。
 「一人一人が例外」ということは,「みんな例外」ということなのだ。説明はいらないと思うが,もはやそれは「例外」ではない。

 僕も妻帯者であり子どもがいる。そして近所にとてもきれいで若い女性がいる。人間だから、その人との不倫を妄想することはある。もし、相手が誘ってきたら、僕は断りきれないかもしれない。それでもどうするか悩むだろう。不倫をしても、妻への罪悪感を常に感じ、楽しい毎日を送るなんて想像できない。充実した毎日と引き換えに、その女性との不倫を続けるだろう。太陽を直視できない、ふっきれない気持のなかで毎日を過ごすだろう。周囲の人間や、ニュース報道から流れる「不倫」という言葉に過剰に反応し、苦しむだろう。その女性と不倫をするなら、それなりの罰を受けなくてはならない。
 と、こう考える。

 しかし乙武氏はすごい。数年で5人…。これまで50人以上の女性と不倫。うらやましい限りだが、女性に対する感覚や考えが、僕などとはまったく違うのだろう。

 快楽の代償になにを支払う気でいたのだろうか。

 

はあ? 宮崎が「真のイクメン」? [芸能]

変な記事を見つけた。
【宮崎謙介衆院議員、彼こそが真のイクメンである】と題したブログ。

宮崎元議員のことはもう書くつもりはなかったが、あの人を「真のイクメン」と賞賛しているオバカブログを見つけたのでひとこと言っておく。

もしかしたら、ギャグなのかもしれない。
それなら、真剣に反論するのは僕はアホだ・・・。

ただ、中身を読むとどうもマジっぽい。
ただ、ブロガーというのは、興味を引くためにあえてこのような記事を立ち上げる。
本心でなくてもだ。

僕は、そんなブロガーではいけれど。

で、マジョリティを代表して反論します。

宮崎元議員は、「真のイクメン」なんかでは決してありません。

【なぜ人々は不倫に対して激烈な反感を示すのだろうか。】

どれほどの「激烈な反感」が筆者の元に届いているのか知らないが、僕の職場ではそれほどでもない。
芸能人の不倫沙汰にいちいち反応するほどヒマではない。
過剰な反応を示している人たちは、一部の一部であり、マイノリティに属する人々だ。
そんな人々の反応を、さも一般論的に認識されても困る。
世間の人のほとんどは、芸能人の不倫騒動など、どうでもいいと思ってます。
だから、不倫はいけないとかアホみたいな正論を口にする人種を相手にしているこのブログは(僕のブログではありませんよ)、クエスチョンです。

内容も薄いです。
「不倫って、そんなに悪いことか?」的な考えが根底にあります。
「自分の不倫を隠すために、宮崎元議員を攻撃している」とか、なんとか。
このブログの筆者が不倫などされているのなら、こう主張するのも納得します。
でも、僕みたいな真面目なヒトは、ついていけません。

「宮崎元議員の辞職はやむなし」といいながら、宮崎を擁護しているんですが、説得力ありません。

で、主張したいのは、「真のイクメンだ」ということなんですが、「すべてを失った彼には、育児に専念するしか残された道はないから」と、急におとしめています。
少し残酷なブロガーさんですね。

ああ、やっぱり、相手にするんじゃなかった(後悔)。

真のイクメンとは、
ただ単に「育児」をすればいいというものではない。
なんのための「育児」かと考えれば、自ずとわかってくる。
両親が普通に愛し合い、信頼し合い、仕事をしっかりし、社会的・常識的に生きる姿を見て子どもは育つ。
「家族の絆」とはきれいごとではなく、やはりこの世の存在するのが望ましい。健全な家庭が多く存在することが、社会の安定につながることは、日々報道される事件を見ればわかることだ。

宮崎元議員の子どもが、健全に育成されることを祈ります。
きっと大丈夫でしょう、「真のイクメン」に育てられるわけですから。

いかん、心がねじ曲がっていくのがわかる・・・。











nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

「時代の分岐点」って? [芸能]

今日のブログの「ハア?度」は高かった。
【時代の分岐点としての、「恥をかいてきなさい」】というブログ。

宮崎議員とかなんとかいう人については、まったく興味がありません。
議員の「育休」なんかについても、考える気もコメントもありません。

まともじゃないなあ、って思ってたら、さっそくやらかした「不倫騒動」。

この記事は、妻の金子議員が「(わたしとやり直す気があるんだったら、会見で)恥をかいてきなさい。」
と旦那(宮崎議員)を叱責したことについて、ブロガーの「井戸まさえ」氏が書いたものだ。

記事に、
【今まで、我が国では浮気や不倫で「恥をかく」のは夫でなく、妻側だとされてきたと思う。】
とあるが、まずこれがクエスチョン。

そういった時代もあったかもしれないが、素直には同意しかねない。現代では、そんな認識はすでになくなっていると思うが・・・。

そしてさらに、金子議員が発した「恥をかいてきなさい」と夫を一喝したことは、これまでの(女が恥をかいていた)時代を変える出来事だと言っているが、はたしてそうか?

ふたつの理由で反論したい。

ひとつ目。
ふたりとも(宮崎・金子)、時代を変えられるほどの大人物ではない。
「育休」なんかで世間の目を集めようとするちいっちゃな人たちです。

ふたつ目。
金子議員もやっぱり「恥はかいている」んですよ。
世間が注目するし、議員でもあるし、「育休」とかいって妻の味方をしながら「不倫」してる旦那をもって、普通の人以上に恥ずかしいでしょ!
旦那に恥をかいてこいって言ったからといって、時代は変わったとはいえない。
世間が本当に「妻が恥」と思わない時代なら、時代が変わったと言える。

しかし、仮に不倫が逆なら、やはり旦那が恥をかくのではないか?
「もしかして不能?」「アレが下手?」とか噂されて・・・。
先にも言ったように、井戸さんが言うような時代じゃないと思う。

この記事で思うのは、金子議員の態度について。
「恥をかいてきなさいっ」と一喝してはいるが、これは旦那へのぎりぎりの愛情だと思う。
旦那を見捨ててはいない。
この言葉には、「わたしに恥なんかかかせて!」という怒りは感じられない。
周囲の議員に「何度も何度も頭を下げていた。」という。
この態度には感心するのだが・・・。
まさか、議員生命の保守のため、ではあるまいな。

とにかくこの記事は、大げさすぎる。
文章もわかりにくい。
ブロガーとしは、クエスチョンかな?

かくいう僕も・・・。








nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

剛は強し・・・ [芸能]

タイトルに関しては申し訳ない。

前回、飛鳥を取り上げた流れから、「長渕剛」のニュースを目にしたので、「剛」について語りたい。
実は僕も剛と同郷であり、彼のニュースは地元のテレビでもよく流れる。
また、彼の学生時代の話なども耳に入ってくる。

無名のころは小さな公民館でライブ活動をしていたそうだが、ライブに実際に行った人からこんな話を聞いたことがある。
剛は、トークのなかで、近くの文化ホールである歌手がコンサートをしている話をして、「いつか俺もあれぐらいビッグになってみせる。」と言ったそうだ。
そのときの観客は十数名だったらしい。

もちろん、こんな話は当たり前のことで、どんなに有名でも、無名時代のエピソードはいくらでもあるだろう。

ただ、剛は学生時代に「いじめ」られ、その負の体験を楽曲創作のエネルギーに転換したところに、彼の魅力を感じる。
「いまに見ていろ!」
そんな気概が、ギター演奏からもわかる。
僕が好きな曲「逆流」も、剛の気持ちがわかる名曲だ。

「とんぼ」あたりから、スタイルが変わり、グラサンの似合うお人になってしまった。
チンピラ風の語り口調・・・。
そして、アクションスター・志保美悦子との結婚。
剛は、自分になかった「力」に憧れていたのだろう。
自らも鍛え、体はすっかりマッチョ。

僕が好きな剛は、昔の剛だ。
「いつかきっと・・・。」そういう思いで作った曲は、どれもすばらしい。

この記事では、
【昨今の音楽業界について「腐っている。僕のような(自分で行動する)体質は潰されるのを知っている。操られている中には入りたくない」と苦言を呈した。】とある。

今朝のテレビニュースでも少し見たが、言いたいことを言うのは剛のいいところだ。
そして、この音楽業界へのコメントだが、「苦言を呈した」とあるが、剛も音楽業界に存在するわけであり、その中にどっぷりつからなくても音楽活動ができるくらい、ビッグな存在になっているという証だろう。

無名のときは、当然操られる。有名になっても、操られる有名人もいるだろう。
自分のやり方を押し通せるというのはすごいことだが、それなりの覚悟も必要だ。
剛は、名前だけではない。本当に強い人なのだ。
僕はそう思う。

さて、剛と対極で、「弱い人」がいる。

清原だ。

周囲のコメントをみると、「本当は弱い人」という言葉が出てくる。
それが本当なら、剛と清原は、「人間の強さと弱さ」という共通点で結ばれる。
剛が弱さを克服して本当の強さを手に入れたのに対し、強さを示しながら内面の弱さを隠し続けてきた清原・・・。
ふたりの対照的な人生・・・生き方。
たぶん、清原は心がぽっきりと折れてしまったのだろう。

剛は、清原についてコメントしなかったということだが、きっと、言葉にはできない感情があるのだと思う。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

これが、あの、Asuka? [芸能]

「万里の河」
「流恋情歌」
「ひとり咲き」
「say yes」
「ya ya ya」

 「チャゲ&飛鳥」は大好きだ。
 飛鳥の甘い声とチャゲの高い声のハーモニー。日本を代表するアーティストと言っても過言ではない。
 いや、過言ではなかった。

 飛鳥の薬物使用は、ショックだった。それまで聴いていた曲が、違うものに聞こえた。それでも、復活を信じて、時々は「say yes」を聴いた。
「復活すると言ってくれ!」
という気持ちで。

 しかしだ・・・。

【ASKA奇声あげ強制入院…妻は不倫マンション売却済】で見たASKAの写真。

 もうダメか・・・。太ってぶくぶく。それに、夫人にまで見放されたら、もうおしまいかもしれない。
それとも、落ちるところまで落ちないとわからないのだろうか?

 十数年前、チャゲアスの絶頂期にドキュメンタリー番組を見たことがある。中国公演の飛行機のなかで、笑っている飛鳥の横顔が思い出される。「はじまりはいつも雨」を歌う飛鳥はかっこよすぎた。MTVを一緒に見ていたカノジョが、「やっぱりかっこいいよね、アスカって。」と言ったあの声が耳に残っている。

 ヒット曲を生み出すことのプレッシャー。それが薬物に手を出した理由だと聞いている。しかし、それが理由ではないような気がする。きっと彼は、ミュージシャンでなくても、一般人でも、薬物に手を出しただろう。
 なぜそう思うのか。

 僕も築地の製氷会社でバイトしていたとき、大麻を吸う同僚がいた。新宿の居酒屋のバイト先にも、覚せい剤の売人がいた。ビリヤード店でバイトしていたときも、またまた大麻を吸うやつに出会った。なんでも関心をもつ方だが、これはヤバいと感じ、その同僚や仲間に入ろうとはしなかった。つまり、クスリに手を出すか出さないかは、その人間の根本的な生き方に拠ると思う。

 昨日は清原が逮捕されたが、彼の場合、以前から疑惑があってのことだから、「ああ、やっぱり…」という感想。クスリに手を出した理由が、「さびしかった」というのでは、女子高校生ではあるまいに、と思う。やはり、人間の性質なのだ。

 「飛鳥」は、「宮崎被告」と呼ばれるようになった。僕たちが知っている飛鳥はもういない。それでも、僕はやっぱり「チャゲアス」を聴くし、歌うだろう。

 それが化石のようなものになったとしても、違う愛し方を見つければいい。
 

 
 

やっぱりベッキーを支持します! [芸能]

 またまた、ベッキーについて。

【松本人志「ベッキー休業はずるい。こうなったら、みんなを楽しませようぜ】というブログ。

 ベッキーが出演する番組の視聴者から苦情の電話がきた、という。主婦から10分間に1000件という苦情は、異常という他ない。しかも、「不倫騒動のタレントがテレビに出ていると気分が悪い」とか、「不倫を子どもにどう説明したらいいのか」など、「考える」ことをやめた方々の悲痛な叫びは、陳腐としかいいようがない。

 「気分が悪い」ならテレビを消せばいい。その権利をあなたはもっています。ベッキーを大好きな視聴者はいるわけだし、わざわざテレビ局に言うべきことではない。「不倫を子どもにどう説明するか」については、親として説明してあげればすむこと。子どもの年齢にもよるが、ベッキーのことを例にしてもよし、恋愛について考えさせる絶好の機会だ。

 前回「ベッキーを救え!」でも不倫を大騒ぎする世間にもの申したのだが、小倉智昭さんが次のように言ったらしい。
「不倫していても、仕事をしている人は大勢いますよ。テレビに出る仕事だと、不倫していてはいけないということなのですか」
 僕の主張と同じだが、ただベッキーが「清純」をイメージさせるキャラだったために、世間が「不倫」に対してNGを出した、ただそういうことだ。一般人のケースと同様に考えても無理がある。
 
 あのホリエモンさんは、ベッキーにえらく同情し、「だめなのは文春」と言い切った。自身も過去において痛い目にあったとはいえ、ホリエモンさんの主張は的を得ていると思う。
 前回のブログでも言ったように、芸能人の私生活にあまりにも入り過ぎ。ラインでの暴露については、プライバシーの侵害も甚だしい。
 だが、誰もそれをとがめようとはしない。「文春はやりすぎ!」の批判は出てこない。

 僕は、このことを問題にしたいのだ。

 ベッキーは、「ありがとう文春」「センテンス・スプリング」なんて言うべきじゃなかった。不倫を暴いた文春を批判し、「プライバシーの侵害だ」と攻撃すべきだった。これは「不倫」の矛先を文春に向けるためではなく、自分の生き方を世間に示すためだ。
 芸能報道は、タレントを生かしも殺しもするし、互いに持ちつ持たれつ、という関係がある。ベッキーが「ありがとう文春」と言ったのは、文春を逆手にとったつもり、つまり、この心理にはある意味文春への復讐心もあったのではないかと思われる。
「わたしたちを窮地に追いやったつもりでしょうけど、ほら、このとおり、わたしたちは堂々とつきあうことができるし、先へ進めます。ありがとう文春!」という気持ちだ。

 ベッキーがこんな考えの人だなんてショック、という人は多いだろう。
 しかし、そうではない。
 文春へのささやかな復讐心から、このような考え方に至った・・・。
 僕はそう見ている。

 ベッキーが出演する番組の視聴率がアップした、というニュースもある。もうすぐテレビから姿を消すベッキーを見ていたい、という心理からか。
 それよりも、ベッキーを支持して、一日でも早くカムバックするよう願うことが大切だ。

 ただ、ベッキーも疲れをいやしたら、自分の生き方として、「不倫」に向き合ったほしい。
 ただし、ベッキーにとっては「不倫」ではなく、「大恋愛」かもしれないが・・・。

 

 

ベッキーを救え! [芸能]

 ベッキーの話題が止まらない。

【社員のリストラも? ベッキー凋落でシャレにならないサンミュージックの台所事情】というブログ。

 ベッキーが窮地に立たされている。週刊文春にラインでのやりとりが掲載されたが、かなり信憑性が高い内容だ。当人にしてみれば、まさかラインでのやりとりが漏れるなんて・・・。という思いだろう。

 なぜ漏れたか、どのように漏れたかは、もはや世間は問題にしない。
 世間に知られることで、自分たちの行為を正当化しようとしていることに批判が出ている。世間の反応は正しい、と思うが。

 しかし敢えて反論しよう。

 まず、ふたりは恋に溺れている状況であり、正しい判断ができないのだ。幼稚な会話や、考え方でそれがわかる。そしてこれはふたりのキャラであり、世間が批判してはならない範囲でのことだと思う。
 たまたま週刊文春で、ふたりの心のうちが暴露されたわけだが、そこまで立ち入る権利は、庶民にはないと思う。立ち入ってはいけないところに、週刊文春の「不必要」な立ち回りで、ベッキーは窮地に立たされた。

 これは、ベッキーが、よくも悪くも愛されているからだ。ベッキーのスキャンダルは世間をにぎわす。
このチャンスを狙っていた文春は、してやったりだろうが、それもベッキーの存在が大きいから。
 ラインが漏れたことで、他の芸能人もおそらくビビっている。もはや、芸能人にプライベートはない。
人気芸能人のプライベートが素っ裸にされ、世間から批判にさらされる。

 僕は、このことを問題にしたい。ベッキーは不倫したが、そのことを誰が批判できるだろうか。批判するあなたは、何様ですか?って話。

 ただ、ひとつ言えるのは、相手が悪い。
 ゲスさん。
 ある歌番組で、手越がゲスを睨んでいたというが、気持ちはわかる。

 世間はビジュアルにやかましい。もし、相手が世間が納得するビジュアルなら、ここまでバッシングはない。相手によっては、ベッキーを応援する人が多数いる事態となったかもしれない。

 実は、ベッキーは、男を見る目において批判されるべきだ。「ゲス」ではなく、「スゲー」って、男に恋をしてほしい!












nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

「マツコの知らない世界」は面白い! [芸能]

 この番組は好きで、よく見る。
 その道のプロフェッショナルが、「モノ」のよさをマツコに伝えるという趣旨の番組。
 ただ単に紹介するのではなく、マツコに気に入ってもらえるかが番組のおもしろさのひとつになっている。

「これ、あたし好き」

とマツコが言うと、出演者はうれしそうにする。逆に、マツコの反応が悪いと、出演者が必死にアピールするのもおもしろい。

 2011年10月に深夜番組からスタート。2013年9月の特番でいったん終了したが、2014年10月からゴールデンタイムに昇格。オープングや番組の途中でこれでもかというくらい流れる、あの独特の音楽、「ちゃらん、ちゃらん、ちゃららららららららら、ちゃらん」も、深夜時代から使われている。

 今回は、「鍋のもと」と「イヤホン」のスペシャリストが登場。スペシャリストだけあって、好きなモノへの傾倒ぶりにも驚かされる。
 「お鍋のもと」を紹介した安井レイコさんは、一週間のメニューがほとんどお鍋だし、昼も夜も鍋という日もあった。しかも家族も追随しているのもおもしろい。
 「イヤホン王子」こと岡田卓也さんは、25000種類のイヤホンから厳選した8品を紹介したわけだが、ホントに25000種類を試聴したのかと疑った。が、最後に32万3540円のイヤホンが出てきたときに、これはホンモノだとわかった。

 今回のふたりに限らず、スペシャリストたちは金と労力を惜しみなく費やし、その道を極めている。その姿に、素直に感動できる。

 この番組で紹介されたモノは、当たり前だが売れ行きが弾むらしい。その経済効果は推定10億を超えるという。モノ作り日本の経済効果を上げる役割も担っているようだ。

 僕は、マツコの「これ、あたし好き!」

が好きだ。

 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

生き下手ベッキー&ゲス [芸能]

【ゲスすぎるベッキー、謝罪会見の裏で不倫相手と堂々と交際宣言 多額慰謝料負担の恐れも】というブログを読んだ。

 ベッキーをめぐる報道には静観してきたのだが・・・。絶えませんなあ、めくるめく報道。清純キャラ、ベッキーが一気にゲスに! このコペルニクス的展開には、世論的には大きく二分されている。
 つまり、純愛を貫くふたりを応援するか、不倫を社会通念にのっとり批判するか。

 芸能人では、さんまは擁護、土田は批判という報道を見た。芸能人でも賛否両論、簡単にはコメントできないニュアンスが伝わってくる。

 ベッキーがレギュラー出演する番組の資料率アップしている現象もあり、ゲスはともかく、ベッキーの動向が注目されている。

 問題は、世間の反応が、いまいちはっきりしないことだ。今まで清純が売りだったタレントの、裏の素顔。そのことへの戸惑いもあるだろう。ベッキーは恋愛下手という報道もあるが、そうだとすると、確かに、幼すぎる面はある。離婚届を「卒論」、「文春」を「センテンス・スプリング」。

アホか? 

 のひとことだが・・・。やっぱり、ベッキーはいじりにくキャラ。社会的信頼はあったのだが、今回のこの件は、あまりにもバカすぎる・・・。どう反応していいかわからない。

 このブログの記事は、「ゲスの奥さんが多額の慰謝料を踏んだくれるよ」という内容だが、そんなことに世間は興味はないし、かのふたりも、「人生大学の学費」とか言って、支払いに躊躇はないだろう。

 それよりも、問題は、このふたりに世間はどう反応するか、だ。純というよりは、おバカなふたりに、少し同情する気持ちもある。ゲスの新妻にも同情する。ベッキーの不倫には、コメントしづらい、というのが世間の反応。

 しかし根本的には、この手の話は一般人にはよくある話。タレントだからマスコミがあれこれ報道するのは仕方ないとしても、我々一般人はノーコメントでいきましょう、そんな感じ。

 ただ、ベッキーがお茶の間がいなくなる事態は、あってはならない、と思う。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。