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厚切りジェイソンに論理的にもの申す その2 [教育]

大事なことを忘れてた。

このタイトルは、そもそも「TVタックル」で、ジェイソンとビートたけしが「徒弟制度」について議論したことについて、ジェイソンがツイッターに【日本人は「感情的」にしか反論しないので、だれか「論理的」に反論できるやついないのかよ】、と、日本人に挑戦状をたたきつけている、ということに対して、未熟ながら僕が「もの申す」。

まず、たけしの意見。当然「徒弟制度」は賛成。
「銀座久兵衛」の徒弟制度を例に、【目利きの大事さを訴え、寿司を握る技術よりも前に板前としての知識や経験を得るのが重要だとし、徒弟制度を肯定した】という。

一方、短期間で技術を習得する寿司養成学校「東京すしアカデミー」も紹介。どちらがいいか議論している。
【ジェイソンは「自分のスキルを磨いておけば、のちにそういう立場になれることもある」と反論した。
これにたけしが「だって河岸(魚市場)に毎日顔を出さなきゃ魚の良し悪しなんか、わかんないじゃん」と意見すると、厚切りは「調べればいいでしょ? インターネットに書いてあるでしょ?」と返答し、スタジオの笑いを誘う。すると、たけしは「それは魚の種類。なかを切ってアブラがのってるかどうか、わかるかはぜんぜん違う」と声を大きくした。結論は出なかったが、厚切りは首を傾げ、たけしの持論に納得がいかないようだった。】

議論の焦点は、「徒弟制度」の善し悪しだ。

善し悪しを判断する事例を、「魚市場での魚の目利き」に絞っている。これが議論をわかりにくくしている。経験も大事だし、情報も大事、つまりどちらも間違っていないからだ。

「徒弟制度」を議論する理由は、その「学び方」にある。「東京すしアカデミー」では、職人が「教わる」わけであり、「久兵衛」では「盗む」のだ。
「久兵衛」では、年数に応じて扱う魚を分け、その魚の特性を徹底して身に覚えさせる。師匠が「ああだ、こうだ」と教えない。弟子は、師匠の背中ですべてを学ぶ。一方「東京すしアカデミー」では、テキストで先生が手取り足取り教える。その違いだ。

「経験が大事でしょ?」と、ジェイソンら外国人に言っても通用しない。彼らは、弟子に「教えない」師匠のあり方にそもそも疑問をもっていると思われる。
「教えればいいでしょ? なんで教えないの?」
なぜジェイソンがそう言わなかったのかはわからない。くいつくべきはここじゃないのか?
「調べればいいでしょ? ネットで。」じゃないと思う。

 ジェイソンに論理的に説明しよう。

 徒弟制度のよさは、「自ら主体的に学ぶ」ところにある。
 師匠に教わるのももちろんありだが、師匠のすることを「なぜ?」と課題意識をもって考え、その答えにたどり着いたとき、その知識は「知恵」となり、新しいものを生み出す「知力」となる。
 日本の「職人技」というものは、単に「知識」だけではなく、「知恵」や「知力」がもたらす「創意工夫」によって日々進化するものであり、進化を継続することで「伝統」をつないできたのだ。そして新しいものを生み出してきた。
 確かに、「知識」は調べれば得ることができるが、「知恵」や「知力」は、自ら試行錯誤を繰り返し、失敗から学ばなければ身につけることができないもの。

こう説明すれば、ジェイソンも少しはわかったのではないか。

でもジェイソン、経験が大切だってことくらい、わかれよ。
論理的に説明しなくてもさあ。
これくらい、わかってくれよ。
一回、「久兵衛」に弟子入りすればいいと思う。

(余談だが)
なんで「厚切り」って呼び捨てなんだろう?
「厚ジェイ」でいいんでないかい?




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