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マツコの言葉から、「家族」について思うこと・・・。 [教育]

今日の「マツコの知らない世界」は、あまりおもしろくはなかった。
秋葉原のカレーとか、耳栓とか、今回はハズレ・・・。

で、今日は久しぶりにまじめに働いたから、ヤフーさえ開く暇もなく、ブログ記事書かなきゃ、とニュースブログを舐め回して、結局マツコのこの記事について書くことに決めた。

【マツコデラックス、家族の必要性を疑問視、「まやかしだよ」】

この記事は、「老後はひとり暮らしの方が幸福度が高い。」という調査結果をもとにしている。
この調査を、マツコがただ自分の都合のいいように解釈しているだけが、調査結果は確かに意外と言える。

家族の問題、家族のあり方は、確かに再考する必要があるには間違いない。
幸福度なんてものは、人によって感じ方が違う訳だから、どちらがいいか、なんて意味がない。
家族がいて幸せ。
いなくても幸せ。
家族がいるけど不幸せ。
いないから不幸せ。
今そう思っても、十年後はまた思いも変わってくる。

だから、問題は、何を望み、どう生きたか、ということだ。

マツコは、この調査結果を受けていろいろ言うだろうが、そもそもマツコがどう考え、何を望み、どう生きたか、で幸せを考えればいい。
老後の環境はどうであれ、それまでどのようにそこまでの道筋をたどってきたかが、重要である。

家族を否定することは、自分を否定することにもなりかねない。
家族はヒトだけでなく、生命のすべてがそれを構成するわけであり、生命維持の重要な要素であるわけだ。
マツコは本気で「まやかしだよ、家族って」と言っているが、本気ではない。
こう言うことで、家族の大切さをアンチテーゼ的に主張している。
「お一人様」のイメージを売りにしているマツコだが、
このスタンスは、お一人様を擁護する一方、家族を持つことの大切さもある意味メッセージとして視聴者に伝えている。

なぜ、そんなことが言えるのか?
それは、マツコというキャラの大きさである。
マツコの言葉から感じられる、マツコという個性、本質が、わかる人にはわかるのだ。
会ったこともないのによく言うよ、と言われそうだが、僕は、自分の「感覚」というものを信じている。

「最後はひとりだよ、人間は・・・。」

マツコの言葉・・・。
もちろんそうだ。

でも、僕も44歳にして結婚し、50歳になる今、4歳と2歳の子どもを育てている。
子どもは・・・自分に似た仕草をする。
そのとき、「自分の子だ・・・。」と実感する。
だから思う。
たとえ自分が死んでも、僕の記憶はこの子らに残り、僕と同じ喜びや悲しみを繰り返し、命をつないでいくだろう。
この感覚、感動は、我が子を抱きしめて実感することだ。

家族とは、自分の周りの血縁をさすことばに終わらない。

家族とは、本当に、自分自身のこと・・・。
生んでくれた両親やご先祖の思いをつなぎ、次世代につなぐ。
生命として義務でもあるが、それ以上に、縦糸としての絆を過去から未来まで届ける、
タイムマシンでもある。

たとえ「お一人様」でも、実子のない夫婦でも、
全世界的な視野で物事を見れば、
いくらでもタイムマシンに乗る方法はあると思う。






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